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東京高等裁判所 昭和45年(う)2076号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

一、控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反)について

所論は、検察官は、本件において、親告罪である猥褻誘拐と強制猥褻の両事実について公訴を提起しているけれども、本件については、被害者の法定代理人である父親の石井繁から単純誘拐の事実について告訴の意思が表明されているだけであつて、公訴を提起された右各事実について告訴の意思が表明されていないのであるから、本件は告訴のない親告罪にあたる事実について、公訴の提起がなされたことになり、仮に猥褻誘拐の事実について告訴があつたとしても、この罪と強制猥褻の罪とは併合罪の関係にあるものと解すべきであるから、強制猥褻の事実に関する限り、被害者の告訴を欠いていることになり、仮に両罪が牽連犯の関係にあり、従つて猥褻誘拐の事実についてなされた告訴の効力が強制猥褻の事実についても及ぶと解せられる余地があるとしても、もともと単純誘拐の事実についてなされた本件告訴の効力を、そのように告訴不可分の原則を無制限に拡張して、猥褻誘拐、さらには本来別箇の事実であるべき強制猥褻の事実にまで及ぼすが如きことは、猥褻の事実が表沙汰になることをきらう被害者の意思を無視するものであり、親告罪を設けた立法の趣旨を没却することになつて、許されないのであるから、原裁判所はすべからく本件公訴の提起は訴訟条件を欠くものとして、実体審理に入ることなく、公訴棄却の判決をなすべきであつたのに、原裁判所が、以上各点の判断を誤り、猥褻誘拐の事実について告訴があつたものと認めたうえ、これと強制猥褻とは牽連犯の関係にあり、従つて猥褻誘拐についてなされた告訴の効力は、強制猥褻の事実についても及ぶものと解し、猥褻誘拐と強制猥褻の両事実について実体審理を遂げ、公訴事実とほぼ同一の事実を認定して、被告人を処断したのは、不法に公訴を受理するの違法をおかしたものである。

そこで被害者の父親石井繁の作成した所論の告訴状を調査すると、同人が同告訴状において告訴している事実の内容は、告訴人の長女が昭和四五年六月三日午後四時五〇分木更津市上望陀五二五番地付近路上において、犯人から一〇〇円やるから学校まで行つてくれといわれ、その犯人の車にのせられ、誘拐されたというものであつて、これを本件起訴状記載の公訴事実と照合すると、同公訴事実の第一と被害者も、誘拐にあつた日時も、場所も、またその態様も全く同じであり、ただ告訴状においては、犯人が誘拐にあたり意図した目的の点について、触れるところがないけれども、そのことは同公訴事実との間に事実の同一性があると認めることを妨げるものではないから、たとえ告訴状が提出されたのち、犯人が猥褻を目的として誘拐したものであることが判明したため、その告訴にかかる事実について猥褻誘拐のもとに公訴が提起されたとしても、さきになされた告訴の効力はのちに起訴されたその公訴事実に及んでいるものと解せられるのである。そして本件の公訴事実に現われているように、強制猥褻の犯行が、猥褻の目的をもつて誘い出したその場所において行われている場合には、原判決が(弁護人の意見について)と題する項において、適切に説示をしているように、その猥褻誘拐と強制猥褻とは通常手段、結果の関係にあり、従つて刑法第五四条第一項後段で規定する牽連犯の関係にあるものと解せられるので、告訴不可分の原則により、前記告訴の効力は強制猥褻の事実にも及んでいるものと考えられるのであり、またそのように考えても、所論のように、被害者の意思を無視したり、親告罪を設けた立法の趣旨を没却することにはならないのである。以上のとおりであるから、猥褻誘拐と強制猥褻の両公訴事実について適法な告訴があつたものと解し、同公訴事実に基いて実体審理を遂げ、公訴事実とほぼ同一の事実を認定して処断した原裁判所の措置は、まことに相当であり、所論の非違はごうも存しない。論旨は、理由がない。〈以下省略〉(荒川正三郎 谷口正孝 中久喜俊世)

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